願い事を叶える方法?
先日1年振りにキャンプに行ってきました。
天気も崩れずゆっくりとした時間を過ごしてきました。
とてもたのしかったなあ。



おわり
と言うのは冗談で
気付けば一年振りになってしまった。
いつでもキャンプに出掛けられるようにと自分の環境を変えたのに
いろいろとタイミングが合わずこの時期になってしまった。
キャンプに行くと何が良いって
細かい時間を気にしないで済むということ。
お腹が空いたらご飯を食べれば良いし
明るいうちからビール飲めるし
暗くなってきたら焚き火をすれば良いし
眠くなったら寝袋に入れば良いし
ゆっくりとした時間の中に身を置いてみると
普段どれだけせかせかして過ごしているのかに気付く。
のんびりし過ぎてレンタカーを返す時間がギリギリになってしまって焦ったけどw
非常に楽しい時間を過ごせてリフレッシュしてきました。
天気も良く、山の上なので空気も澄んでいたので流れ星も何度も見ることが出来た。
流れ星が消える前に願い事を3回唱える!なんてベタなこともやってみたり。
この願い事を3回唱えるって行為を行った時に気付いた事がある。
流れ星を見つけてから消えるまでの時間なんてのは
多分1秒間も無い。
流れ星だ!と認識した瞬間に消えてしまっている。
なので流れ星が消える前に願い事を3回唱える為には
「常に願い事を考えている」必要がある。
この「常に願い事を考えている」という状況こそが
願い事を叶える方法なんじゃないかと気付いた。
引き寄せの法則というものがあって
自分の考えているもの、欲しいと思っているものが自然と寄ってくるという説。
割とこの説を信じていて
これまでの人生においても体験していることが多い。
会いたいと思っているような人と会えたり
欲しいと思っていたものが手に入ったり。
常に願い事を考えていれば願いが叶う
とは断言は出来ないんだけど
常に願い事を考えていれば願いが叶う可能性が高くなる
とは言える。
そんなことに気付くことが出来た良いキャンプでした。
やはり自然の中に身を置くのは良いことだね。
だいぶ暑くなってきましたね
毎年6月は梅雨時ではあると思うんだけど今年は割と空梅雨な気がする。
湿度と温度が高いと不快指数は高いけど、それで美味しいお米が出来るのであれば耐える事が出来る。
しかしあんまり湿度が高くならないのでなんとか扇風機メインで凌いでいる。
実は昨年から部屋着は浴衣にしてみているんだけど、これが何とも良いもんなんだよね。
汗を吸ってすぐ乾くし、袖や襟元から空気が抜けていくので割と涼しくもある。
まあ部屋の中でしか着ないのでかなり着崩してしまってはいるんだけど…。
きっかけは去年の夏に興味本位でAmazonで購入したところから始まる。
夏を少しでも快適に過ごす為に着れる服はないだろうかと考えた結果、安い浴衣を着てみようとなったんだよね。
安かったのでサイズフリーしか無くて着てみるとつんつるてんだったんだけど、これは悪くないと感じて着続けている。
とはいえ小さいのを着続けるのも微妙だったのでその後しっかりした浴衣を買い直したんだけど。
浴衣の袖に小物を入れてそれを弄って探すってポーズをやってみたかったのよね。
袖が邪魔なときはたすき掛けすれば良いし。
こうなってみるとまたいくつか他の浴衣も欲しくなってくるので今年はまた新調出来ると良いな。
ブログ書いてなかったなぁ〜
気付けば1年近く書いてないじゃないか。
前回のブログでは時間にも気持ちにも余裕が出来て〜とか書いてたけどブログ書かなかったのはただの怠慢だな。
前回のブログを書いてからは
モンハンNOWを始めて近所をウロウロ徘徊してたり、小説の竜馬がゆくを読んだり、龍が如く8でハワイの離島で島の開拓をしたりして過ごしていた。
それらの事を行ってる最中も、これはブログに書くような事だよな〜と思いつつもあれよあれよと時間が過ぎてしまった。
そう言えばMOTHER2のプレイ日誌とかも書いてたけどどうなったって話だよな。
ま、過去の事は置いておきまして。
最近感じた事に、発信していく力を養いたいというのがありまして。
何かを思ったり感じたり考えた事を発信していく。
アウトプットする事でまた違う事を考えるようになるかもしれない。
しかし良く考えてみればこのブログを立ち上げた時もそれが目的だったような気がする。
成長してねぇじゃねぇか。
そういった事に気付くためにも発信することは大事なんだなぁ。
なので
今後はもう少し意識してブログを書いていけるようにもしたいかな。
毎日変化も無く生きているような気もするけど、案外変化している事も多いから。
自分が意識するかどうかの話って訳だよな。
ブログでも書くかあ~
あまりに久しぶりである。
前に書いたのは2月の頭だったからまだ寒い時期だったはず。
春を越え猛暑を超え残暑の時期になってしまった。
この間に割とワチャワチャしていて、結果としては時間や心身に余裕のある環境を作る事が出来ました。
あれやったりこれやったりしてたらこんなにも時間が経ってしまっていた。
余裕のある環境って大事。
本読んだり映画見たりギター弾いたりと、趣味に時間を割いても罪悪感が無い。
というか心に楽しむ余白がある感じ。
今までの環境もそんなに苦しかった訳でも無いんだけどただただ生活しているだけだったと思う。
その分仕事においてや人間としてのレベルアップは出来たとも思うけどね。
いろいろ大変な時期を経てきたことで感じるのは
俺って割と運が良いんだな
という事。
運が良いって事っていうのはそれを得ることよりも、それを気付いたり感じたりする事が重要な様に思う。
サイコロを振って思い通りの目が出るよりも、自然体に過ごしていたら結果的に良い結果を得るような感覚。
その為には直感を大切にするのが大事な気がする。
テレビやネットが身近にあると簡単に刺激的な物を得られてしまうから、たまにこの刺激から距離を置いて自然の中に身を置くことが良いのかもしれない。
暑さも和らいできたらキャンプに行きたいな。
1月は行った
気がつけば新年明けてから一ヶ月と一週間が経ってしまった。
年末にコロナ感染し、回復後には滞ってしまった仕事+割り振られた仕事をこなし、ボロボロになりながらも年末年始を迎えた。
全力で何もしない年末年始を終え、今度はとある資格試験に向けて猛勉強。
それも終わり一段落ついてまたボヤボヤしていたらこんなに時間が経ってしまった。
1月は行く
2月は逃げる
3月は去る
なんて言葉はあるけど今年はオンペースというか、自分で完璧にスケジュールをコントロールしている感があるな。
今年の目標はいろんな事をリセットして、来年以降をより良くする為の一年になりそうだ。
その為の計画もそれなりに立ててはいる。
あまりにも個人的な目標過ぎてこのブログにすら書かないんだけど。
やっぱりある程度難しい目標設定を作っておかないと人生にハリが出てこない。
目標も無くただダラダラ過ごす事も出来るんだけど、そうしていると勝手に焦りが出てきて精神的に追い詰められてく。
しかし焦っている状況の時ほど本当はゆっくりした方が良いと近年は学んできている。
自分自身の健康経営を考えられるようになってきた。
やれる時はやれば良いし、やれない時はやらない。
つまりはこのブログもそうなのかもしれない。
以前までは
良し!この日はブログを書くぞ!
なんて意気込んでたけど
今日はそんな事も無く、ブログでも書くかあ~みたいなノリで書いてる。
今年はそんな感じでいくことになると思うな。
新型コロナ感染
やってしまいましたよ。
11/25に発熱して12/2まで自宅療養していました。
まさか自分が罹るなんて。
ワクチン打たずにここまで来たから大丈夫だろうと高をくくっておりました。
高熱は出たけど幸いなことに味覚や嗅覚にも問題は無く、咳が出て若干喉の痛みはありけど治ったと思う。
今まで39度の熱なんか出したこと無いので、熱による体調不良にビビりまくったね。
何にも出来ないから横になってウトウトして数時間眠ったかと思ったら覚醒してを繰り返す。
横になる時間も長いから腰も痛くなるしで大変は大変でした。
しかし一週間も療養していると体力は相当落ちるな。
少し散歩をしただけで息は切れるし筋力も落ちている気がする。
ボーッとしている時間も長かったので頭もボンヤリしているし。
体質も変わった気がする。
食べたい物が変わった気がするし、ほぼ毎日飲んでいたお酒も飲みたいと思わなくなってしまった。
まあこればっかりはまだ本調子じゃないから戻る可能性もあるけど。
コロナとは別にして、長期休暇は必要かなと感じた。
だいぶリフレッシュをすることは出来たかと思う。
体の調子が戻ってきたらまた筋トレを再開しないと。
良い戦争映画とは
夏になると戦争映画を観たくなる。
終戦記念日を意識するからだな。
観るのは主に第二次世界大戦を描いた映画。
その中でも日本が関与している地域を舞台に描いた作品を観るようにしてる。
今年も夏休みを利用して4~5本観た。
日本の作品とアメリカの作品を観たのだけど改めて気づいた事がある。
映画作品だから致し方無いのだろうけど、基本的には対立している国が悪者のように描いている点だ。
日本から見るアメリカは圧迫的な外交を行い、国を維持する為には開戦しか無いと切羽詰まらせる意地の悪い国家と描いている。
アメリカから見る日本は真珠湾を奇襲してきた野蛮な国家と描いている。
原爆についてもお互いに異なる印象になっている。
日本からすると、罪の無い一般人を大量に巻き込んだ大量虐殺兵器と受け止めているが
アメリカからすると、戦争を終結させた必要な戦略だったと描かれている。
感情の部分やどっちが良いか悪いかはひとまず置いておいて
一つの事象から異なった認識が生まれるという事が勉強になる。
戦争映画について思った事がある。
それは「面白い戦争映画」と「良い戦争映画」があるという事。
「面白い戦争映画」は、ストーリーが良くて感動する!とか映像に迫力がある!とか
いわゆる一般的な映画と同じ受け止め方をするもの。
「良い戦争映画」とは、戦争をとにかくリアルに描き切るもの。
戦争はなんて悲惨なんだ、と感じる作品を個人的には「良い戦争映画」と呼ぶようにしてる。
今回観た戦争映画の中で特に「良い戦争映画」と思ったのは
『野火(2015)』である。
正直に言うと観るまでは完全に知らない作品で、アマゾンプライム内でたまたま見かけて興味を持って観た作品。
一般的な戦争映画は大体の作品では対立する軍隊が死物狂いで戦い、その中で生まれるドラマを描いている事がほとんどだ。
しかしこの野火と言う作品には戦闘シーンはあまり無い。
それよりもフィリピンレイテ島での日本軍の過酷なシーンがずっと流れ続ける。
温暖な地域で植物は生い茂り、パッと見て食べ物に困らなそうである。
しかし人間が食せるものは乏しく、常に飢えた状況が続いている。
戦闘シーンもリアルと言えば聞こえは良いが、いわゆるグロテスクなシーンになるので耐性の無い人は注意しないといけない。
どちらかが勝った負けたではなく、戦争そのものの悲惨さを描ききった作品になっている。
こんなに後味の悪い作品は『ジョニーは戦場へ行った』以来かもしれない。
気になって原作の小説にまで手を出してしまった。
お腹いっぱい食べられるだけでも幸せな事だと言う事は忘れないようにしたい。