ブッダのことば-スッタニパータ 読了

2020年の秋頃に読んだ本で『史上最強の哲学入門』という本がある。

オススメされたのは西洋哲学の方だったんだけど東洋のシリーズもあってそちらの方がハマってしまった。

西洋哲学と東洋哲学、それぞれの主な違いとして西洋は概念に対して議論を重ねていくイメージ。

例えば正義とは何か?という議題をある人はこうであると主張し、また違う人はいやいや、こうであると主張をして真理へ向けて思考や議論を繰り返して辿り着こうとする階段型。

 

反対に東洋哲学ではいきなり最初から私は真理を知ったという人物が出てくる。それを聞いた周りの人間がこれはこういう意味でしょうか?と教えを問うピラミッド型である。

 

この考え方の違いはそれぞれの地域の歴史観による違いもあるとは言われているみたい。ちなみにこの本なのでもっと詳しい内容は読んでみて欲しい。

 

東洋哲学の軸として仏教が出てくる。

日本に住んでいて普通に暮らしていると仏教ってお葬式で念仏を唱えたりお寺にお墓を置いて貰ったりその程度の認識でしかなかった。

でもこの本を読んでから、時間をかけて変化して今の仏教があるんだと知ることが出来た。

 

じゃあ最初の仏教の教えって何だろうなと気になってしまい、今回のタイトルにある本を読もうと決めた。

仏教の始祖であるブッダは自分の言葉を文字として残す事は無かった。(何故かはこの本を読むとなんとなくわかる気がする)

なのでその弟子達がその説かれた教えを文章としてまとめたのがこのスッタニパータである。

 

日本語訳されたものもいくつかあるみたいだけど割と最近に出版されて、レビューでも読みやすいと高評価だったので年末のKindleのセールで購入した。

それがこの本。

 

Kindleでページを開くとおよそ何時間で本を読み切ることが出来るのか表示されるんだけど最初に飛び込んできた数字は17時間くらいと出てきて、こりゃーずいぶん長い旅路になりそうだなと覚悟して読み始めた。

しかし文章自体は非常に読みやすいので割とサクサク読み進めることが出来る。

注意点としては最初の三割くらいがスッタニパータを訳した文章で、残りの七割くらいが文章の中の言葉の訳文なのでそれを参考に読み進めた方が良い。

電子書籍で読んでいたらそれに気付かずに訳文をまとめて読む事になってしまった。

 

読んでいて感じた事は、そもそもブッダは新しい宗教を開こうとかそういった考えは無かったんじゃないか、と言うこと。

 

悟りを得たのでそれを説いていることが中心ではあるんだけど、そもそもインドの宗教や哲学の中に沿って説いていっている印象なんだよね。

いろんな修行や苦行を繰り返していった中で悟ったことを周りに伝えた。

当時のインド哲学の中ではカースト制度が今よりも極端で生まれた時の身分のまま一生そのままだったらしい。

 

つまりカースト最下層も最上層も生まれた時の身分で一生が決まってしまう。

そこにブッダは異を唱える。

 

「いや、そんな事無くね?生まれた時に定まるもんじゃないよね。そもそもそんな事に執着しない方が良くね?」と。

 

こう考えることで生まれから自分の身分が決まってしまっていた人も、自分の行い次第で自らを救うことが出来る様になったのだと思う。

執着するなと説いている以上、ブッダは自分に従えとは説かない。

だからこそ目の前にいる相手へ言葉で伝え、文字には残さなかったのだと思う。

大事なことは自ら気付くこと。

 

現在文字として残っているのはブッダの弟子達が説かれた内容を参考にして文章にしているのでどうしてもフィルターがかかってしまっている。

更にそれを翻訳をしているのだから正しい解釈が得られるとは到底思えない。

 

でもなるべくだけ純度の高い内容に触れたいと思ってこの本に手を出したのは良かったと思う。

 

宗教の事を書くのって少し気が引けたんだけど俺自身特定の宗教に拘ることは無いと思う。

それぞれにそれぞれの信念や想いがあるからそれらを勉強したいとだけ思っているからね。

 

少し前のブログにも書いたけど、結局人が何を想い、考えてきたのかを知りたいだけなんだよな。

こういった知識欲は枯れることの無いようにありたいね。