あれこれそれだれ

ちょいと心が挫けてしまった事がある。

 

他人と会話をしている際に相手が何を伝えようとしてきているのかを察知する能力が最近は高まってきている。そう思っていた。

しかし察知出来ないタイミングが増えてきてしまい、自分もまだまだだと感じつつストレスが溜まるようになってきてしまったのだ。

 

誰との会話でも察知できなくなったわけでもなく特定の人が対象ではあるのだけれども共通点が判明してきた。

 

会話の中に主語が無いのである。

 

唐突に

「あれやっといて!」

と言われても(あれって何のことだ?そもそも誰に対して話しかけているんだ?)

と考えてしまう。

 

人の話を聞いている時に遮って自分の話を始めるのは苦手なので理解するように話し終わるまでじっくり待つんだけど、その反応は相手からすると理解に乏しい印象を与えてしまうらしい。

 

「言っている意味分かるか?」と尋ねられるも全く分からない時がある。

 

ここからは俺の推測。

本人の頭の中には常に主語を認識している。

ただ実際に言葉として発する時にすっ飛ばしてしまう事もあるので他人には分かりづらい文章になってしまう。

本人としては主語を認識して喋っているので相手に伝わらない理由が不明で、他人からすると主語が分からないのでどう理解すれば良いのか分からないのだ。

 

こういった自体が起こってしまうと何が怖いってお互いに間違った解釈のまま物事が進んでしまい、後になってお互いにそんなつもりでは無かったという結果を出してしまうのだ。

 

あれ、とか

これ、とか

それ、とか

とても便利な言い回し。

俺も良く使ってしまっていると思う。

 

でもたまには話している言葉を振り返って自分の伝えたい事の主語って何だっけ?と考える事が大切なんだな。

 

主語の無い文章でも会話として成立する場面を見ると自分の理解する能力が衰えたのでは無いかと心配になってしまう。

この文章を書きながらも何度も読み直して伝わりづらくは無いだろうかと心配になる。

 

相手の伝えようとしている事を察知できる様になったと思い込んでいるのが驕りなのかもしれない。

 

不安なので誰が、何を、何で、何時、何処で、どのくらい、どの様にを確認をする癖を付けていこうと思った。