最近の課題曲

ふと思い付いてとあるゲーム曲を聴きたくなった。

まずは聴いてみて、ギターで弾くとしたらどんなもんかなと手を出してみたら激ムズでした。

その曲がこれ。

 

 

ゲーム自体にドハマリしたかと言うとそうでも無い。

でも良い曲が多くてたまにサントラを聴いていたりした。

 

ちょっとコピーしてみるか!と思い付いたものの大苦戦。

まず音を聞き取るのも難しいし同じテンポで弾くことも出来ません。

しかし最近のYou Tubeは便利なもので、動画の再生速度を変えられるんだね。

耳コピが苦手な俺にとってはメチャ助かる機能です。

 

リズムパターンにしろメロディにしろ自分の手癖には無いものばかりだから、こんなフレーズパターンもあるものかと勉強にもなる。

 

やっぱり自分の興味のある曲でないと真剣にならないね。

 

この曲を弾けるようなったところで完全に自己満足なんだけど、そういった心の満足度を今年は高めていこうと思う。

っという間に気づいたら年を超えておりました。

 

明けましておめでとうございます。

 

年越しはずっとダラダラしておりました。

酒を飲み、ゲームをして、漫画を読み続ける。

 

一年の中で最も非生産的な時間を過ごすと決めております。

普段の生活の中だとどうしても生産的であったり効率性を重視してしまうので、敢えて無駄な時間を使いそれに飽きるのが狙い。

しかしその無駄な時間に馴れてしまい、感覚を戻すのが大変になってしまっている。

 

さて、今年の目標は「自然体であること」に決めました。

そもそもそれを意識している時点で自然体では無いという矛盾はさておいて。

 

去年の目標は「アウトプット」だったんだけど、自分の想定以上に出来てはいなかった。

ここ数年は一年の目標を定めて過ごすようにしていたんだけど、どうしてもその目標を判断軸にして出来ない自分を責めてしまう事が多かったんだよね。

そうすると何が起こるかって、何事も楽しむことが出来ないし、機械のようになってしまう。

趣味の時間を作っても焦りの気持ちが生じてしまう。

つまらない時間を過ごすことも多かったんだよね。

 

これはあかん!!

ということで、今年はもっと肩の力を抜いて過ごそうかなと思います。

自分が楽しいと思うことをして、そこから学びを得ていくスタイルにしようと。

 

幸いなことに引き寄せの法則があるように感じているから、その時の自分に必要なものは勝手に寄ってきてくれると信じてしまっている。

 

敢えて自分のコントロール出来ない部分に身を置いてこそ、得られる事や学べることもあるんじゃないかなと考えていたり。

 

肩の力抜いたからこそ久しぶりにブログも書いているんだけどw

 

読みたい本を読んだり観たい映画を観たり、聴きたかったり演奏したい音楽も自分本位で良いかなと思っている。

 

そんな訳で今年も宜しくお願い致します。

今年の目標なんだっけ

そう!アウトプット!

 

 

 

 

振り返ってみるとあんまり出来ていないな!

 

例年今くらいの時期に来年の目標はどうしようかなって考え始めるんだけど、そう言えば今年の目標なんでしたっけと再確認をする。

 

いや、忘れていたわけじゃないんだけどね。

 

普段なんとなしに生きてしまうとなんにも感じることも無く終わってしまうから、アウトプットすることを意識すればもっといろんな事に感動出来ると思ったんだけどね。

 

実は何もしていない訳じゃないんだよな。

9月頃にDC展に行ってバットマン熱が再燃。アメコミのダークナイト・リターンズを読んだ勢いで映画ダークナイトトリロジーを三夜連続自宅鑑賞もしたし。

小説を読みたくなって夏目漱石の「こころ」と太宰治の「斜陽」も読んだ。

 

ひっそりとキャンプにも行ったしスタジオでレコーディング作業もしてる。

 

つまりネタはあるのだ。思い出しながらこれを書いてるんだけど。

 

その時々でブログ書かないとなぁ…と考えてはいるんだけど、まあ明日で良いか!今日はお酒飲んで寝よーっと!なんて日が何日も何週間も続いてしまっている。

 

それとは別で少し生活環境変えようかなといろいろ準備したり動いたりしていて、その為のインプットもまた必要になってしまっている。

 

ここ数年達成しようとした一年の目標って、いわゆる意識高いみないものばっかりなんだよね。

今までの価値観ぶっ壊していこう、とか。

 

今年もそんな意識で過ごして来た訳だけどもそればっかり続いてしまうと理想と現実のギャップを感じて悩むこともあったりもする。

 

来年は達成するのが緩くて自分が楽しいと感じるような目標にしようかな。

○○すべき という呪い

日々過ごしている中で常に意識している言葉がある。

それは「成長」と「教育」

 

成長は自分がいつまでにどこまで成長することが可能か?と言う事。

知識や知恵もそうだしコミュニケーション力や様々なスキルや思考方法等をどれだけブラッシュアップしていくことが可能かと考え続けている。

 

教育は自分自身がいかに良質な教育を受ける事が出来るのかと言う部分と、自分から他者にどんな教育を施す事が出来るだろうかと考え続けている。

 

この2つの言葉を意識し続けていると陥ってしまう考え方がある。

タイトルにも書いた「○○すべき」という考え方である。

 

この考え方自体は心身共に健康な時には自分を鼓舞するための栄養剤になったりもするんだけど、くたびれている時には大きなストレスにもなってしまう。

 

成長するためにはこの思考方法をするべき、とか

教育を行うためにはこんな行動をするべき、とか

 

本来自分がもっと良くなるために定めたアクションプランだとしてもそれが足枷になってしまう。

目的と手段が入れ替わってしまうと非常に大きなストレスになる。

 

自分自身でたまにあるのは

日中仕事をして自宅に帰ってきてからはゲームするも映画を観るも漫画を読むも好きにお酒を飲むも趣味を行うも、余暇を楽しめば良いと頭では分かっている。

しかし、この本を読むべきとかこの作業を進めるべきとか動画を見て勉強をするべきとかブログを書くべきとか考えてしまう。

 

こうなってくるともはや呪いだ。

 

本来はワクワクしながら行いたいと思っていたことも、自分自身に課したノルマになってしまい、ただ作業をこなすだけになってしまう。

 

油断するとすぐに陥ってしまう思考。

気をつけなければいけない。

 

意識的に息抜きやリラックスする時間を作ってあげないといけない。

生き方が下手だなと最近気付いた。

上手く遊ぶ事がどうやら苦手らしい。

 

これも少しずつ改善していこうと思う。

アルマゲドン

この前ふとしたタイミングでAerosmithのI Don't Want To Miss A Thingを耳にして

あ!アルマゲドン観たい!

と思いついて20年ぶりくらいに視聴した。

 

一昔前までは近くのレンタル屋まで行ってDVDを探す時間が必要だったけども、今ではプライムビデオで検索すれば観れるのだから本当に良い時代になった。

ありがとうAmazon

 

この映画を最初から最後までしっかり観たのってもしかしたら初めてかもしれない。

テレビで放送されていたのを観た記憶はあるけどカットされていただろうし。

 

めちゃめちゃ良い作品でした。

ラストは知っているからこそ序盤からのやりとりでグッと来るシーンもあった。

ラストはもちろん泣いたんだけど途中でも涙が滲むシーンもあったなー。

 

細かい部分でツッコミ所が無いわけでも無い。

宇宙空間で爆発しても燃焼するのか?とか

無重力空間の撮影は難しいからGを感じる描写が多いなとか。

 

あくまでエンターテイメントなんがからこまけぇこたぁ良いんだよ。

 

地球規模の危機を目前にギリギリの状態の中で、目的を達成するために最善を尽くすのも足を引っ張るのも人間なのだなと感じた。

合理的な思考よりもただただ感情や心で考えるとそう判断するんだろうなと感じながら観ていた。

 

宇宙には興味はあるけどあんなに切羽詰まった状態では行きたくないよなー。

 

当時は気付かなかったけどAJと言う準主役の俳優はベン・アフレックだったんだね。

映画を観ながら心の中ではバットマンだ!と思って観ていたよ。

 

デアデビルの俳優だと認識してたから懐かしくなってデアデビルまで視聴してしまった。

 

芸術の秋だという事で映画鑑賞を楽しむことにしようかな。

夏が終わる

8月が終わると何でだか夏も終わるような感覚になる。

学生の頃の夏休みが終わるタイミングだったからかもしれないな。

 

夏フェスに行くとか海に行くとか夏らしいイベントはそもそも行わないんだけど、昨今の新型コロナウイルスの影響もあって尚更出かける事の無い夏だったな。

 

部屋に籠もって映画見たりゲームばっかりしてた気がするw

 

ステイホームしろと言われなくたって家で楽しめてしまう性格ではあるんだけど、ここまで出かけることや外食を規制されてしまうと思ったよりもストレス溜まるんだと分かった。

出不精な俺でもこれだけのストレスなんだから外で遊ぶのが好きな人達からしたらそりゃ苦しいだろうなと感じる。

 

江戸時代には蟄居という、屋敷の一室から外出させないという刑罰があったようなんだけど、その刑罰の辛さを理解出来た気がする。

 

せめて来年にはいろいろ落ち着いて来ると良いんだけどね。

一緒にお酒を酌み交わしたい人も何人もいるし。

 

しかし夏が終わるってのは何でこんなに淋しげな気持ちにさせるんだろうか。

夏真っ只中には熱くてしんどい癖に夕方が少し涼しげになってくると

あぁ、もう夏も終わりか…期待した事など何一つ起きなかったな…

と、ミスチルのワンフレーズを呟きたくなってしまう。

 

存在が近くにあると煩わしかったり面倒くさかったりする癖に、離れてみると何だか寂しくなってしまう

夏ってそんな季節。

 

そんな夏みたいな知り合いがいる。

季節が巡るようにまたそいつとも巡り合うんだろうな、どうせ。

人情は道理に勝る

引き寄せの法則を信じてるって事を以前のブログにも書いたことがある。

最近は引き寄せの法則よりも、引いてきてしまっている感覚がある。

 

それは

「理屈や能書きよりも人間の感情や人情を理解しろ」

という事である。

 

数年前から生産性や効率性や合理性を求めて求めて求め続けてきた結果、それなりにレベルアップをすることが出来たように思う。

しかしレベルアップしたと同時に自分が機械のようになっているなと思うようになってきてしまった。

 

感情の起伏も少なくただ淡々と作業をこなしていくようになってしまって、大きく落ち込むことも無い代わりに大きく楽しむことも減ってきてしまった。

 

これはあかん!

と自然に感じていたのかもしれない。

 

数ヶ月前にとある本を読んでから人情というワードに惹かれるようになった。

 

その本は福沢諭吉の日本皇室論。本の内容をざっくり説明すると

日本人にとって皇室って大事だよね、もう遺伝子レベルで組み込まれちゃってるよね。

という様な内容である。(ざっくりし過ぎだが)

 

本の中に「人情は道理に勝る」という文章があり気に入ってしまった。

 

道理や理屈がいくら正しくても心から納得することの出来ない時もある。

逆に道理や理屈が誤っていたとしても人への情けの気持ちが生まれる時もある。

 

つまり人間は正しさや誤りと言う尺度だけで物事を判断してないよねって事だ。

確かに普段の生活の中で人と接しているとそう感じることがある。

 

言ってることは正しいんだけどこの人の言うことを聞いたようになるのは癪だな、とか。

この人の理屈はむちゃくちゃなんだけど肩を持ってやるか、とか。

 

という訳で最近はこの人情という物を学ぶ時期なんだなと感じている。

何か良い教材無いかなーと調べた結果、映画「男はつらいよ」シリーズを見始める事にする。

主人公の車寅次郎も人は理屈じゃねえんだよ、と頻繁に繰り返す。

頭じゃわかっているんだけど心の方ではそうじゃないんだよ、とか。

映画の時間も一時間半くらいなので夜ご飯を食べながら鑑賞するのにも調度良い。

笑いもあるしグッと来る時もあるので良いリフレッシュの時間にもなってる。

 

そのうち寅さんのセリフにある、結構毛だらけ~をコピー出来るようになるかもしれないな。