○○すべき という呪い
日々過ごしている中で常に意識している言葉がある。
それは「成長」と「教育」
成長は自分がいつまでにどこまで成長することが可能か?と言う事。
知識や知恵もそうだしコミュニケーション力や様々なスキルや思考方法等をどれだけブラッシュアップしていくことが可能かと考え続けている。
教育は自分自身がいかに良質な教育を受ける事が出来るのかと言う部分と、自分から他者にどんな教育を施す事が出来るだろうかと考え続けている。
この2つの言葉を意識し続けていると陥ってしまう考え方がある。
タイトルにも書いた「○○すべき」という考え方である。
この考え方自体は心身共に健康な時には自分を鼓舞するための栄養剤になったりもするんだけど、くたびれている時には大きなストレスにもなってしまう。
成長するためにはこの思考方法をするべき、とか
教育を行うためにはこんな行動をするべき、とか
本来自分がもっと良くなるために定めたアクションプランだとしてもそれが足枷になってしまう。
目的と手段が入れ替わってしまうと非常に大きなストレスになる。
自分自身でたまにあるのは
日中仕事をして自宅に帰ってきてからはゲームするも映画を観るも漫画を読むも好きにお酒を飲むも趣味を行うも、余暇を楽しめば良いと頭では分かっている。
しかし、この本を読むべきとかこの作業を進めるべきとか動画を見て勉強をするべきとかブログを書くべきとか考えてしまう。
こうなってくるともはや呪いだ。
本来はワクワクしながら行いたいと思っていたことも、自分自身に課したノルマになってしまい、ただ作業をこなすだけになってしまう。
油断するとすぐに陥ってしまう思考。
気をつけなければいけない。
意識的に息抜きやリラックスする時間を作ってあげないといけない。
生き方が下手だなと最近気付いた。
上手く遊ぶ事がどうやら苦手らしい。
これも少しずつ改善していこうと思う。