今だから言える話
実を言うと今年の三月終わりから五月の連休明けるくらいまで、ものっすごい憂鬱感が続いていた。
何をやっても楽しくないしずっと気分が沈んでいて、何とか気を張って仕事は出来るけど気を抜くと気持ちがズシーンと重くなってしまう。
前回のブログに書いた旅に出た理由はそんな気分を払拭する為でもあった。
今はだいぶ回復してきたのでブログを書く。
連休明けには大分回復してた気もするが、ただ躁状態になっているだけじゃないかと不安だったので少し様子を見ていた。
何が原因だったのかはっきりしないけど、寒暖差にはかなりやられていた気がする。
春ってこんなにしんどかったっけ?と毎日考えていた。
元気がある時には元気の無い時を忘れているし、元気の無い時には元気のある時を忘れている。
どちらも喉元過ぎればってやつだな。
有名人の方が自死してしまうニュースをいくつか見かけて、その選択肢を選んでしまう気持ちも分かった気がする。
どんなに知名度があっても
どんなにお金があっても
心のどこかにポッカリとした穴が空いているとそこにはいろんな感情が渦巻き始めてしまうのかもしれないね。
そういった時には嵐が過ぎ去るのを待つように、とにかく休んで過ごすしか無いね。
出来るだけたくさん寝て、好きなものを食べて、自分を必要以上に責めないで過ごしていくしか無い。
元気のある時と無い時のリズムと周期は確かにある。
その時その時の自分を受け入れていくのが大切なんだろうな。
房総半島を巡る旅
5/3~5/4の間に房総半島を一周してきた。
本当はキャンプに行きたいと思っていたんだけどギリギリまで悩んでいた結果、全く予約を取れない状況になってしまい断念。
何をしようかなー何が出来るかなーと考えた結果、無計画に旅をすることに決めた。
旅行をする時って大体は段取りを決めると思うんだよね。
最低でも泊まる所は決めると思う。
それから移動手段だったり観光名所だったり食べ物だったり。
今回の旅は一切決めないで出発した。
普段の生活の中において、目標を定めたり計画を立ててその通りに実践する事があまりに多く、ムカついてきたのでぶらりと旅に出ようと決心した。
とは言え何も定めないのも無理なので、房総半島を一周することを目的にして食事は海鮮丼食べたいなーってくらいは決めておいた。
ルートとしては幕張や千葉市を通りつつ、海沿いをひたすらに走り続けて可能ならば銚子まで行きたいと考えていた。
とりあえずは車で都内を出発。
どうせ千葉方面に行くならと、ディズニーの混雑を後目にかけてやろうと判断したのがそもそもの失敗だった。
朝の9時頃に都内を出発したのに13時頃まで浦安付近を脱出出来ず。
もしかして今日だけで木更津はおろか千葉市が限界なのか…と不安になるも、幕張を越えた辺りから快調に進むことが出来た。
とりあえず木更津まで行ってその日をどうするか考えようと思い、車を飛ばして15時頃に木更津へ到着。
さてどこらへんに泊まりますかと考える。
せめて1日で房総半島の半分くらいは行きたいよなと考えて館山まで向かうことに。
幸いなことに宿もすんなり予約出来て館山までたどり着く。
今回の旅は移動がメインなので写真を撮る機会が少ない事に気付いて慌ててカメラを起動する。
全然意識してなかったけど館山は西向きの海だったので、海に日が沈んでいくのを初めて見た気がする。
しかも物凄くラッキーな事に月も同じ向きで沈んでいくタイミングだった。
直感で選んで入ったお店もなかなかナイスだった。
ちなみに向こうに見えるグラスは1杯目の空きグラス。
2杯目を頼んだ時に料理を撮影していない事を思い出す始末。
初日はほろ酔いになり終了。
次の日はどこ行くかなーと考え、とりあえず房総半島の最西端に向かう。
ここで驚いたのはこの位置から三浦半島が見えるということ。
地図だけで感じる距離感と違うんだな。
で、ここからはひたすらに車を走らせることになる。
どこかで美味しそうな海鮮丼屋があれば良いなーと考えながら走ったものの、なかなか判断が付かずに気付くと鴨川すら大きく超えて九十九里辺りまできてしまった。
そんな訳で昼食。
ついでに九十九里浜も堪能する。
九十九里浜とは良く言ったもので、ずっと砂浜が続いている。
そう言えば語源は何だろうかと調べてへぇ~と思うこともあったり。
今回の旅に出る前のイメージとしてずっと道の右側に海がある道を走るんだろうなと思ってたんだけど、実際にそんな道は体感として全体の3割位しか無かった気がするな。この九十九里浜沿いを走った時が一番イメージに近かった。
また、東京湾側と太平洋側では海岸線も随分違う事と、その違いに応じて釣り人とサーファーの分布もあるなと感じる事が出来た。
こういうのは実際に現地に行って肌で感じてみるのが面白い。
学生の頃の修学旅行をもっと真面目に行ってれば良かった。
てな訳で海岸線やその一本内側の道を爆走しながら目的地付近に到達。
実際には最東部より手前なんだけど九十九里浜を一望出来る場所へ。
冬場に来ればもっと遠くまで見えるんだろうなと考えるとまた来たいと思う場所だったな。
そして最東部である犬吠埼へ向かうのでは無く、そこを撮影する事で今回の旅は終了。
ここまでほとんど一般道だったので高速をぶっ飛ばして帰りました。
無計画だったのでどうなる事かと思ったけど、無事にこなす事が出来て良かった。
ほとんど車のナビすら使わなかったのでその場その場の判断する事も楽しめたな。
決まり通りに行動するのも安心は出来るけれど、こういったハラハラ感があるのも良いもんだなと感じたな。
また無計画に出掛けようっと。
10年ぶり
新しいギターを10年ぶりに購入した。
今までほとんどエレキギターを弾いていて、アコースティックギターが非常に欲しくなってしまった。
実を言うとエレキでもギターシンセを使ってアコギの音を出す事は出来たのだけど、ネックの細さとか弦の太さの関係であんまりしっくり来なかったのだ。
とは言え普通のアコギを買ってしまうと生音が大きいので、弾くとしても時間帯を考えないと気が引けるよな…。と悶々としていた。
で、いろいろ探した結果がこれ。
なんだか不思議な形をしてるよね。
サイレントギターと言って、ボディのシェイプやネックはアコギのそれとほぼ同じ。
ただボディに音量を増やすための空間が無いので生音はかなり小さい。
じゃあどうやってアコギらしい音を出すのさっていうと出力端子が2つ付いている。
1つはいわゆるイヤホンジャックで、市販のイヤホンを使えば自分だけアコギの音を感じる事が出来る。
もう1つはモノラルジャックで、ギターシールドを繋いでアンプやスピーカーから音を出す事が出来る。
このギターそのものにもチューナーも付いているし、イコライザーもついているのである程度の音作りも可能なのだ。
本格的なレコーディングやライブを気にせず自分の好きなように弾く分には十二分の性能になっている。
これならさほど時間を気にせずギターを弾くことが可能になった。
さすがに夜中にジャカジャカ弾くのはまずいかもしれないけど、指でポロポロ弾く分にはあまりに気にならない気がする。
また家から出ない口実のグッズが揃ってしまった。
MOTHER2日誌#3
ゲームに熱中してしまってブログ書いてなかった。
ポーラを仲間にした後はトンズラブラザーズと共にスリークへ。
この街はゾンビに囲まれていて陰鬱な雰囲気になっている。
子供の頃は怖かったような記憶もあるが今はシュールさすら感じてしまうな。
話しかけられるゾンビもいて案外フランクな反応してくれたりもする。
ゾンビはどこから湧いて来るのかを調べると罠にかかりネス達は捕まってしまう。
ポーラが祈ることでまた違う仲間と繋がることになる。
ジェフという少年はPSI(この世界で言う魔法みたいなもの)は使えない代わりに、彼にしか扱えない機械を操作することが出来る。
これが強えんだわ…。
このゲームの世界観は見ての通り何となく可愛らしくてファンタジーな雰囲気なんだけども、結果として科学的な武器のほうが強いというバランス感が何とも言えないんだよね…。
ペンシルロケットと言う機械があればゴリゴリプレイも出来てしまう。
そんな彼もネス達と合流するべく謎の機械で飛び立つこととなる。
主人公達とジェフの合流後、ゾンビの大元を叩く為にサターンバレーへ。
ここにはこのゲームのマスコット的なキャラクターのどせいさんがいる。(撮影した時は写っていない事に全く気づかなかった)
画像でも分かる通り、独特なフォントで話しかけてくる。
話す内容もどこか間抜けな感じがしてそれがとっても癒やされる。
こんな間抜けな雰囲気なのに実は知能は高いというギャップもある。
しかしこのデザインはどの様に思い付いたんだろうな…。
かくしてネス達はゾンビの親玉と戦うことになる。
恐らくゲーム史上1,2を争うであろう汚いボス、ゲップーである。
SFCでプレイした当時ゲームのSEでゲップの音を聞いた時には、なんて無駄な部分に力を入れたゲームなんだろうと思ったものである。
そしてその後に自分だけの場所にたどり着く。
着々とメロディも集まってきている。
ポーラの頭にキノコが生えているのはご愛嬌。
MOTHER2日誌#2
前回に引き続きMOTHER2について書く。
ニンテンドースイッチの良いところはディスプレイでプレイ出来るのに加えて、携帯機としてプレイ出来るのが素晴らしい。
普段寝る前にはKindleを読むようにしているんだけどついついゲームをしてしまう様になってしまった。
就寝時間も決めているんだがそれも延長してしまう。
良くないが楽しいのだから仕方無い。
という訳でゴリゴリと進めて既に一人目の仲間のポーラを加え、2番目の自分だけの場所にも到達してしまった。
プレイに熱中しすぎて写真を撮るタイミングを何度か逃してしまっている。
ゲームをしながらGBA版でプレイした時の苦い記憶を思い出した。
スリングショットと言う武器が攻撃力は高いのだが命中率は低く、実際にはあまり有効では無いという思い出だ。
またこのゲームをプレイする時にはこの事を忘れずに心に刻み込んでおこうとその時は思ったのだが、まさか本当に再度プレイする日が来るとは。
これからも多分ゲームを進めながら思い出すこともあるんだろうな。
MOTHER2日誌#1
ニンテンドースイッチを年末に購入していて、最新のゲームよりもレトロゲームが面白くて少し前までドンキーコングをプレイしていた。
しかしつい先日MOTHER2がニンテンドーオンラインでプレイ出来るようになったと知り、早速プレイを開始。
懐かしい…!!
元々小学生の頃にやった事はあり、確かGBAでも移植されてそれもクリアしたこともある。
それでも懐かしくてまた始めてしまった。
当時よりも自分がレベルアップしているので、めちゃくちゃ効率的にさくさく進めている。
このゲームは音楽も良いんだよね。
コピーライターの糸井重里さんの作品だから人物の話す内容など、テキストを読んでいるだけでも面白かったりする。
当時を思い出しつつ、また新たな気持でゲームをプレイしていこうと思う。
ちなみにどんなシナリオかと言うと
画像に載せている少年ネスが世界を救うというお話。
ある夜に自宅の裏山に隕石が降ってくるところからゲームは始まる。
何事かと調べに行くとそこには未来からやってきたというブンブーン(見た目は虫)
から、未来はピンチであり救うのはネスだというアドバイスを受け取る。
そしてそのまま旅が始まるというシナリオ。
旅の中で仲間を探しつつ、自分だけの場所というパワースポットを巡りながら敵を倒す力を付けていく。
この写真も自分だけの場所。
自分だけの場所に訪れることでメロディを記憶して進んでいくことになる。
その旅は一筋縄ではいかない。
たまには警察に囲まれて倒さなければいけない時もある。
敵と戦う中で頭にキノコが生えてきてしまう事もある。
ニンテンドースイッチにはゲーム画面を写真に残す機能があるから、写真を残してブログのネタにしていこう。
因われていた
前回のブログでギターの課題曲について書いた。
今でもその曲は練習しているが、壁にぶつかったので次の曲に向かう。
本当はその曲に集中したほうが良いのかもしれないけど、それで辛くなってテンション下がるならさっさと次に行ったほうが良い。
戻ってきたら弾けるようになってるかもしれないし。
んで
その次に弾いたのはこの曲。
FF4は積極的にプレイした作品では無いんだけどこの曲をどこかで聴いてカッコいいと思ってたんだよね。
いっちょ弾いてみっか!と悟空の様に軽いノリで始めたものの、変拍子も多くてなかなかノリが掴めない。
この曲も原曲通りのテンポで弾けるようになるまでは時間が掛かりそうだ。
最近自分の弾きたい曲を弾き倒すようになって感じることがある。
今までのバンド活動の中でギターを弾く時は自分の殻に因われたてたという事。
このバンドならこんな音、と言う思い込みに因われていたんだなと思う。
もちろんそれが駄目なわけじゃないんだけど、自分の中では妥協しているような気がしていたんだよね。
自分の出来る範囲の中だけで完結してた気がする。
更に言うと俗に言うロックアンセムや、ギターヒーローのプレイを弾けるようで”あるべき”とか、”そうでなければいけない”という思い込みも強かったように思う。
そういう曲を弾きたい!と思う気分になかなかならなかったんだよねw
あんまり心に刺さる事が無かった。
ギタリストとはかくあるべきに因われていたんだな。
その中で悩んでいた気もする。
でも今はそんな事を気にせずに自分の弾きたい曲を弾きたいように弾けば良いように思えるようになった。
凄く遠回りをして音楽やギターを楽しめるようになったような気もする。
もっと早くに気づけば良かったと言う後悔の念が全く無い訳じゃない。
でも気付けたから良しとしよう。
FFの曲をある程度弾けるようになってきたら今後はスト2の曲でも練習しようか。