本当に学びたい部分とは

学生の頃の好きな教科は国語と歴史だった。

 

国語の文章解読する試験問題で、この時のこの登場人物の気持ちを述べなさいなんてのも好きだった。

歴史もただ年表を覚えるのでは無く、その出来事は何故起きたのか?どういった経緯で起こったのかを考えるのが好きだった。

 

学生じゃなくなってからもまばらながらも気になる時代は本を読んだりしていた。

それ以外では心理学も学んでみたり、最近では哲学、地理、宗教にまで広く浅く手を付けている。

 

この根っこは何だろうかと考えた時に気付いたのは、いずれも『人間を学びたい』という部分だ。

 

この人は何を考え、どう感じて、どんな行動を起こしたのだろうか?と考えるのが好きなんだ。

過去の事を考えながらこんな環境ならこう考えるのも当然だし、そう行動するのも当然かもなと妄想するのが楽しいんだよね。

 

その妄想を繰り返していくと現代社会で実際に会う人でもいろんな妄想を繰り返していってあんな人かこんな人かと想像出来る。

だからといって思い込みで人物像を固定してしまうと思い違いをしてしまうからその時その時で人物感を考え直せるようにはしているつもりなんだけど。

 

結局のところ人の事が好きなんだろうなと思う。

たまに考えすぎて疲れてしまうんだけども。

 

そんな考え方もあったのかと感心する時もあれば、こいつ正気か!?と驚くこともある。

人間観察というとなんだか嫌らしい響きになってしまうけど、実際にそれを行っているようにも思う。

 

ただ、意識しているのはその人の最大の力を発揮出来る様な状況にしようとしている。

同じ作業をするにしても気持ちよく動いたり、自分の持っている能力を把握してもらったり。

 

その為に日々学び、実践し、反省を繰り返していくのだ。

こればっかりは性分だから変わらないのかもね。