人情は道理に勝る

引き寄せの法則を信じてるって事を以前のブログにも書いたことがある。

最近は引き寄せの法則よりも、引いてきてしまっている感覚がある。

 

それは

「理屈や能書きよりも人間の感情や人情を理解しろ」

という事である。

 

数年前から生産性や効率性や合理性を求めて求めて求め続けてきた結果、それなりにレベルアップをすることが出来たように思う。

しかしレベルアップしたと同時に自分が機械のようになっているなと思うようになってきてしまった。

 

感情の起伏も少なくただ淡々と作業をこなしていくようになってしまって、大きく落ち込むことも無い代わりに大きく楽しむことも減ってきてしまった。

 

これはあかん!

と自然に感じていたのかもしれない。

 

数ヶ月前にとある本を読んでから人情というワードに惹かれるようになった。

 

その本は福沢諭吉の日本皇室論。本の内容をざっくり説明すると

日本人にとって皇室って大事だよね、もう遺伝子レベルで組み込まれちゃってるよね。

という様な内容である。(ざっくりし過ぎだが)

 

本の中に「人情は道理に勝る」という文章があり気に入ってしまった。

 

道理や理屈がいくら正しくても心から納得することの出来ない時もある。

逆に道理や理屈が誤っていたとしても人への情けの気持ちが生まれる時もある。

 

つまり人間は正しさや誤りと言う尺度だけで物事を判断してないよねって事だ。

確かに普段の生活の中で人と接しているとそう感じることがある。

 

言ってることは正しいんだけどこの人の言うことを聞いたようになるのは癪だな、とか。

この人の理屈はむちゃくちゃなんだけど肩を持ってやるか、とか。

 

という訳で最近はこの人情という物を学ぶ時期なんだなと感じている。

何か良い教材無いかなーと調べた結果、映画「男はつらいよ」シリーズを見始める事にする。

主人公の車寅次郎も人は理屈じゃねえんだよ、と頻繁に繰り返す。

頭じゃわかっているんだけど心の方ではそうじゃないんだよ、とか。

映画の時間も一時間半くらいなので夜ご飯を食べながら鑑賞するのにも調度良い。

笑いもあるしグッと来る時もあるので良いリフレッシュの時間にもなってる。

 

そのうち寅さんのセリフにある、結構毛だらけ~をコピー出来るようになるかもしれないな。

これは手ぇ出ぇへん

ダウンタウンの松ちゃんのケチなエピソードで好きな話がある。

 

語り口は後輩芸人だったと思うんだけどその後輩芸人と松ちゃんで服を買いに行き、物色した際に松ちゃんがお気に入りの柄の服を見つける。

 

買うかどうか思い悩み値札を見た際に放った言葉

 

「これは手ぇ出ぇへん!!」

 

言っても数千円の服であったらしく一緒にいた後輩からの、そんな事無い!何なら店ごと買えるっちゅうねん!と言うツッコミも大好きである。

 

ネットで探してみてもどこにも動画が見つからないから詳細違ってるかもしれない。

 

彼ほどの売れてる芸人が数千円の服を買うのにも躊躇するってのが面白いポイントなんだけど、最近このフレーズが頭を過ることが多々ある。

 

元々あんまり物欲がある方では無いんだけども、自分の生活の質が高まるのであればあんまり値段を気にせずに買ってしまうことがある。

以前のブログにも書いたように寝具であったりモニタースピーカーであったり。

 

その代わりリターンを感じない物には数千円数百円であったとしても買うことは無い。

そんな時にタイトルのフレーズが頭によぎる。

 

俺の知り合いで見栄で物を買う人がいた。

この車に乗っていれば周りからカッコいいと思われる。

この時計を着けていれば周りから金持ちだと思われる。

この家に住んでいれば周りから羨ましがられる。

 

周りからどう思われるか、という思考パターンでは物欲は尽きる事は無いんだなと感じて観察していた。

 他人を評価軸に置いてしまうと無数の価値観と比較することになるので、一生他人と比較して自分を評価してしまうことになる。

 しかし自分の評価軸に置けば本当に必要な物かそうでないか冷静に考えることが出来る。

 

自分と他人。

どちらの方が数が多いかを考えればどれだけ価値基準がぶれやすいか分かるよね。

 

要するに自分の価値基準で価値の高い低いは変わってくるってこと。

 

だからこそ

自分が欲しい物は一体何なのか

自分に必要な物は一体何なのか

この部分にだけ意識をしていれば勝手に無駄遣いを無くし、無理な節約をしなくとも生活していけるように思う。

 

まずは勇気を持ってこのフレーズを使おう。

 

「これは手ぇ出ぇへん!!」

餅は餅屋

少し前から右手親指の付け根と右脇腹に痛みを感じていた。

まあその内に治るかと考えていたが痛みは引かないので市販の湿布薬を貼ったりして過ごしていた。

しかしそれでも痛みは引かないので近くの整形外科に行ってみることに。

で、この有様。


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右手に関してはテーピングをして、リハビリとして暖かくなる超音波だったり神経に効く超音波だったりを当てる。

原因としてはスマホの操作とトラックボールマウスで親指を使いすぎ。

 

右脇腹に関しては骨や肺には悪い部分が見当たらないので肋間神経痛でしょうと言う診断を受けました。

 

飲み薬と塗り薬を処方され数日が経つ。

 

痛みが引いてきた気がします。思い込みかもしれないけど。

やっぱり餅は餅屋なんだなと実感。

 

バンド活動していた時には何でもかんでも自分たちで完結出来る事を目指していて、それこそレコーディング作業やミックス作業からライブや音源リリースのスケジュール立て、音源のコンセプトに伴いジャケット制作やアーティスト写真やグッズのコンセプトに至るまで全てを自分達の力のみでやり切ろうとしていた。

 

もちろんそう言った独立心を持つのも大事だと考えつつも、もっと周りの意見を聞いたり力を貸してもらうのも有りだったのかなと今では思う。

 

当時知り合ってお世話になった音楽関係の人に餅は餅屋だよと言う言葉を頂いたんだけども、当時の俺にはしっかりと受け止める事は出来ていなかったな。

 

今は自助努力は行いつつも自分の力では及ばない部分に見切りをつけて人に頼る部分を少しは覚えてきた気がする。

 

大事なのは自分の意地ではなく達成したい目的だ。

その為の手段や目標は柔軟に考えても良い。

 

少しは成長していると思いたいやね。

バガボンド≠宮本武蔵

漫画バガボンドが大好きで単行本で読みすすめてたんだけど2014年に37巻が発売されてから休載をしていて物語が進んでいない。

 

2021年6月現在まで休載していて先のストーリーが気になりすぎて原作である吉川英治著「宮本武蔵」を読むことにした。

読み始めた時のブログはこちら

今、ここ - やーたくの日記

 

およそ二ヶ月を掛けて読み終わることが出来た。

結論として言えるのはバガボンドとは全く異なるということ。

どちらが良い悪いという事では無い。

 

小説の宮本武蔵はいわば宮本武蔵オリジンであると言える。

フィクション世界に置ける宮本武蔵像を作り上げたのはこの作品なんだと思う。

ついでに佐々木小次郎も。

 

宮本武蔵のビジュアルイメージを思い浮かべると、粗野でいて汚らしい印象がある。

佐々木小次郎のビジュアルイメージを思い浮かべると、優雅でいて小ざっぱりしている印象がある。(俺だけか?)

 

恐らく宮本武蔵を題材にしたドラマなり映画なりがこの小説宮本武蔵を元にして作られているからそんなイメージを持ちやすいのだと思う。

 

この小説も元々は1935年に新聞小説として掲載されたので娯楽作品である部分が多いのかもしれない。だからこそ分かりやすいキャラクター設定が必要だったのかなとは思う。

しかしこの小説を作るだけでも宮本武蔵の残した文献等を探しまくって作品として纏めたというのは本当に素晴らしい功績だと感じる。

 

宮本武蔵が残した五輪書は様々な経営者にも愛読されていると言う。

宮本武蔵そのものの知名度を上げる事が出来たこの小説の意義はとんでもなく高いものだと思う。

 

肝心な小説の中身なんだけど、そもそも宮本武蔵は剣を通して禅も見つけた人物。つまり剣禅一如を目指した人物だと描かれている。

剣の修業をしながらこの世の真理とは何なのか、を自分に説いていく。

そういった描写が多いけど、やはり娯楽作品の部分もあるのか恋愛部分も多く描かれてもいる。途中で恋愛小説かなと思ったくらい。

 

バガボンドはこの剣禅一如の部分を更にフォーカスして作り上げようとした作品なのかもしれない。

 

主人公である武蔵の対比として幼馴染の本位田又八がいるんだと感じた。

武蔵は基本的には自分の目的を達成するため孤独、孤高であり一人でいる描写が多い。

それに対して又八は出生したいという気持ちを持ちつつも、そうなるための行動を起こすことの出来ない人間としての弱さがある。

故に誰かを傷つけたりもするものの、なんだかんだ誰かと共存して生きている描写が多い。

 

何かを成し遂げようとする人ほど孤独であり、そうでない人ほど他者と共に生きていかなければいけない。

この辺りは現代社会にも通じる部分はあるのかなと感じた。

その辺りの描写もバガボンドにもあるけど。

 

それぞれ好みはあるかもしれないけど宮本武蔵バガボンドもそれぞれの良さがある。

比較してみると、え?そいつってそんな事になるの?と感じる部分も多いけど。

 

小説を読む時の注意点としては

執筆した時代背景もあるんだろうけど割と男尊女卑の描写が多いこと。

佐々木小次郎が割とクズな性格をしていること(これは武蔵と比較して勧善懲悪の方が物語として分かりやすい為かもしれない)

 

このくらいなもんかな。

思ったよりも残虐な表現も無いのですんなり読みすすめることが出来た。ボリュームは多いけど。

 

普段小説を読む機会は少なくて今回はかなり楽しんで読めた部分が多いんだけど、少し活字から離れて漫画なんかに手を出してもっとリラックスして本を読みたいと思ってる。

Kindle Unlimitedでオススメ無いかなと探した所、真っ先に出てきたのが手塚治虫ブッダであったので衝動買いしてしまった。

漫画とは言え重そうなテーマを何故選んでしまったと自分に文句を言いながらも今後はこの作品を読みすすめていこうと思う。

迷い道

今日は車で馬喰町へ向かう用事があった。

行く時は迷わないようにとナビを打ち、目的地までは難なく到着した。

 

帰る時は来た道戻れば良いんだろ~って軽い気持ちでナビは打たず、記憶と野生の感で帰ることとした。

 

今思えばそれが過ちだったのだ。

 

あの辺りを車で走ると道は広いのにやたらと一方通行が多く、なかなか思った通りの方面に向かえない。

また広い道でも何も考えずに走っていると予期せぬ右折レーンなどに入ってしまい、同じ様な道を行ったり来たりしてしまった。

 

こうなると意地でもナビは使うまいと必死に運転していた。

なんとか上野の辺りまで来た頃には帰る道も見つけることが出来て気持ちに余裕も出来たので、どうせならドライブ感覚で好きな道走ってみるか!となった。

 

上野公園と東京国立博物館の間の道を初めて通ったんだけどもこの時期は空の青と木々の緑のコントラストが凄く綺麗で、この中を散歩することが出来たら良いなと感じた。

新型コロナの影響でなかなか出掛けづらい雰囲気だけど久しぶりに美術館や博物館巡りもしたくなる。

 

そんなこんなで無事に帰ってきた訳だけどたまにはふらふらしてみるのも良いもんだね。

自分の性格上どうしても目的地まで最短距離を通ったり効率性や生産性というものに捉われがちになる。

でも敢えて回り道をしてみることで新たな気付きや感じる事もある。

 

京浜東北線って台地と低地の間を走っているなとか。

そもそも山の手の由来って何だろうとか。

 

そうしてまた今昔マップを開いて時間を溶かしてしまいそうになる。

 

東京に何十年も住んでいるけどまだまだいろんな発見があるから面白い。

新型コロナが収まったら東京巡りをしてみても良いかもしれないな。

ちょっと何言ってるか分からない

普段何気なしに過ごしていると本気で笑っている時は少ないと気づく。

 

一切笑っていないと言う事では無いんだけども、相手に気を遣ってたり空気を読んで笑っているなと感じてしまう時もある。

 

たまには心の底から笑う時間を作ろうと考え、サンドウィッチマンの動画を視聴するところに行き着いた。

 

サンドウィッチマンのコントを観ていて気付いた事がある。

彼らのコントのパターンは失礼な態度を取る富沢に対して伊達がツッコミを入れて笑いを取る事が多い。

富澤のボケって日常生活においてはこんな人がいたらイライラするような対応が多く、それに対しての伊達のツッコミも終始怒っている風なんだけどそれが面白い。

 

つまり、日常生活においては笑いと怒りのタイミングって似ているんじゃないかなと考え始めた。

 自分自身が感じる刺激に対してどんな反応を起こすのかは、自分自身で決めることが出来るのかもしれない。

普段イラッとしてしまうことでも、伊達のようにツッコミを入れる事が出来れば面白おかしく生活出来るだろうと思ってしまう。

 

彼らのコントでお決まりの「ちょっと何言ってるか分からない」というフレーズがある。

これを聞くために彼らのコントを観ていると言っても過言ではない。

このフレーズがいつ飛び出てくるんだろうとワクワクしながら観てしまう。

話の流れで絶対に理解出来るのに富沢のすっとぼけた顔も含めて絶対に笑っちゃうんだよね。

このフレーズも使いこなせるようになりたいけども、相手のツッコミありきだからなかなか難しい。

 

お気に入りのコントは鉄板だけどハンバーガー屋さんだな。

ご一緒にホタテは如何でしょうかのフレーズを使う機会は流石に出てこないかな。

 

 

 

 

買って良かったもの

基本的にはあまり物欲は無くて今手元にあるものだけで何とかなるじゃ~ん、と言う考え方をしている。

しかし欲しい物が出てきた時には何としてでも手に入れたくなってしまう。

 

少し前からモニタースピーカーを欲しくなっていた。

友人知人の家に遊びに行ってそこで音楽を聞く度に、音をハッキリ聞くことが出来て良いなと思っていた。

 

でもモニタースピーカーは真剣にDTMを行ったりミキシングをする際に必要なもんだと思っていて避けていたんだよね。

 

でも欲しくなってしまった。

 

いろいろ機種を調べて予算も決めた結果決めたのはこれ。

 

 

メーカーもたくさんあったしもっと安いのもあったんだけども、これで音楽を楽しく聞けるのであればと思い切って買ってしまった。

 

結論から言うと凄く良い。

 

今まで使っていたスピーカーよりもそれぞれの楽器がどう鳴っているのかを認識しやすいから、今まで何度も聞いた曲でも新たな発見があったりして面白い。

 

ここで感じたのは「良い音」と言うのは人それぞれ異なるなと言うこと。

 

人によっては低音がズッシリ出ていたほうが良かったり、全体の音圧を感じたりする方が良い音だと感じる人もいるだろう。

俺の場合は鳴っている音それぞれがどんな音を出していて、ステレオのどの辺りの位置から鳴っているのか判別しやすい音が良い音と感じるんだと思う。

あんまり耳も良くないのでそれぞれくっきり聞こえた方が良い。

 

と言う訳でここ2~3日は積極的にスピーカーで音楽を聞くようにして単純に音楽鑑賞を楽しんでいる。

今までヘッドホンで聞くことが多かったけど、スピーカーで聞くほうが楽しい気がするね。

 

耳だけで音を聞くよりも、やっぱり振動を体全体で感じた方が音楽を楽しめる気がする。

このコロナ禍でなかなかライブやイベントを組めない状況が続いているけど、やっぱり大音量で音楽を聞けるって言うのは貴重な体験なんだと思う。

あまり意識せずに慣れてしまった時期もあったけれど、その環境から離れた今ではそう考えるようになってきた。

 

このコロナ禍を乗り越えた事が出来たならどっかのライブハウスでも遊びに行こうかなと思うよ。